隣のアイヒマン

昔、配達の仕事しかしてこなかった私が、突然営業にまわされた。扱う商材は金融系商品。しかも訪問販売。人付き合いが得意なわけでもなく、形のないものを売るイメージなど到底持てなかった。
自身が必要性を感じないものは売れない。そう思い、私は必死に保険を好きになろうとした。理屈をこねて自分を納得させ、「自分・客・会社」の三方が潤う輝かしい未来を夢見た。


しかし、現実は甘くない。私の成績は常に「中の下」。最下位ではないのは、絶望的にセンスがない者や新人がいたからに過ぎず、実質的にはビリ同然だった。
客に嫌われてはいなかったと思う。無理な押し売りをしない「人畜無害」なキャラだったからだ。必殺技は「お願い募集」。典型的なダメ営業マンだったが、幸いにも上司や同僚に恵まれ、なんとか居場所を保っていた。


だが、そんな牧歌的な職場は長くは続かない。異動によって環境が変われば、そこは簡単に地獄へと変貌する。
もともと「数字のない奴に人権なし」という売上第一主義の企業文化だ。割り当てられた目標を達成するため、現場は狂気に染まっていった。
自腹営業は当たり前。お得意様の奪い合い、規範を軽視した営業競争。上司はそれを見て見ぬふりをする。生き残るために魂を悪魔に差し出すか、良心を守って沈むか。そこにあったのは、まさに地獄絵図だった。

低実績者だった私は、幸か不幸か「明らかに逸脱した行為」に手を染めることすら諦められていた。そもそも押しが弱くてできなかったのだ。
それでも、不利益事項を早口でまくし立てるような「小悪党」程度の真似事はしていた。職場の誰もがそうしていたからだ。まともにやって契約を取り逃せば、組織では「間抜け」扱いされる。


「この世紀末モヒカン的な倫理観の中で、あと何年働けばいいのか」
そんな絶望に沈んでいた日々を過ごしていたある日、事態は急転する。
大規模な不正契約の数々が報道により白日のもとにさらされたのだ。会社の存続を揺るがす大事件となり、行政から処分が下った。組織は大混乱に陥った。
当面の間、営業活動は禁止。 営業で上げた数字は一転して客の受けた迷惑の量として扱われるようになり、組織の中では価値観が180度ひっくり返った。
この状況を作ったのは誰か?と犯人探しが始まり、昨日までのヒーローだったトッププレイヤーたちが糾弾の標的となる。売上を叫んでいた上司は、手のひらを返したように「コンプラ」を連呼し始めた。

この状況のもとで、私は営業手当や残業代が消え生活は困窮しこれからどうしましょうと思う経済的不安を覚えながらも、ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告」を思い起こして、歴史はしっかり韻を踏む!と興奮していた。正直楽しんでいた。組織という巨大な装置の中では、うまく順応できる人間ほど、自分の思考を停止させているのかもしれない。

行政処分により、会社は開店休業状態。何もできない、何もしてはいけない日々。
それでも会社は潰れず、雇用は守られる。大企業の強固さと労働法の恩恵を噛み締めながら、私は意図せず訪れた「命の洗濯」の日々を過ごした。
上層部は対応に追われ地獄だったのだろうが、末端の私には皮肉にも静寂が訪れたのだ。
「偉い人は大変だな」
そんなルサンチマン的な独り言を飲み込み、いつかまた、組織が売上という言葉に回帰していく予感を感じていた。そのとき、自分はもう、ここで同じように順応する側にはいられないと思った。

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